ある日、哲学の教授が大きなガラス瓶と大きな石を教室に持ってきました。
「ガラス瓶がいっぱいになったら手を挙げて下さい。」
教授が生徒たちにそう言うと、大きな石をガラス瓶に入れ始めました。すぐに蓋が閉まらなくなり、ガラス瓶がいっぱいになったところで、全生徒が手を挙げました。
次に、教授は小石が入った小さな鞄を取り出し、小石をガラス瓶に入れ始めました。小石はコロコロと転がり、大きな石の隙間に入っていきました。生徒たちは微笑みながらまた手を挙げました。今回は本当にガラス瓶がいっぱいになりました。
さらに教授は、砂の入った鞄を取り出し、砂をガラス瓶に入れ始めました。その砂は大きな石と小石の隙間を埋めつくしました。蓋をすると教授は得意げに、生徒たちにガラス瓶がいっぱいかどうか聞きました。生徒たちは手を叩いて同意しました。
「はい、もういっぱいです!」
ここでさらに教授は蓋を開け、コーヒーをゆっくりとガラス瓶に注ぎました。コーヒーは大きな石、小石、砂の微かな隙間を完全に埋めつくしました。
「人生とはこのガラス瓶のようなものなのです。」
教授は言いました。
大きな石は人生でもっとも大切なものを表しています。それは、家族であり愛する人、あなたの情熱であり、あなた自身の健康です。あなたがこれら以外の全てを失ったとしても、このもっとも大切なものがありさえすればあなたは自分の人生を満たすことができるのです。
そして、小石はあなたの人生においてかなり重要なものを表しています。しかし、それらはあなたの幸福を決定づけるようなものではありません。それは例えば、仕事であったり家や車などです。最後に砂が示すものは、それ以外の全てもの、すなわち、人生において数えきれない程の小さくてささいなもののことです。
自分のガラス瓶を最初から砂で埋めてしまっては、大きな石や小石を入れる空間がなくなってしまいます。私たちの人生も同様に、細々とした忙しない物事で最初に埋め尽くしてしまうと、本当に大切なものに割くべき時間を失ってしまうということなのです。
一瞬静まり返ったあと、一人の生徒が質問しました。
「教授、それではコーヒーは何を表しているのでしょうか。」
教授はこう答えました。
「良い質問です。それは、どれだけ人生がいっぱいでも、友人とコーヒーを飲む時間はいつでもあるということです。」
あなた自身にこんな質問をしてみてください。
・人生というあなたの「ガラス瓶」の中で最も大きなスペースを占めているものは何ですか?
・ここで言う「大きな石」とはあなたにとって何ですか?
・どの「小石」や「砂」に隙間を取られすぎていますか?
・今週は誰とコーヒーを飲みますか?
これだけは覚えておいてください。大切なことに割く時間はいつも必ずあるものです。にもかかわらず、私たちはついそれらを後まわしにしてしまいがちなのです。
Lots of Love, Erica
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